今日の所感

思ったことを書きます。

「同調圧力」と「協調性」を勘違いしている人

なんだか話を聞いていて、それ「協調性」が無いのではなく、単に「同調圧力」では? と思うことがあったので、書いてみました。

まずは意味を調べましょう

集団において、少数意見を持つ人に対して、周囲の多くの人と同じように考え行動するよう、暗黙のうちに強制すること。

同調圧力(ドウチョウアツリョク)とは - コトバンク より

暗黙のうちに強制ってのがポイントですね。

他の人と物事をうまくやってゆける傾向や性質。 「 -に欠ける」

協調性(きょうちょうせい)とは - コトバンク より

他の人と物事をうまくやってゆけるってのがポイントですね。

また、広辞苑Wiki を見ても、
同調圧力」は、暗黙のうちに多数の意見を強制すること
「協調性」は、周りとうまくやること

と、なっています。
言葉の意味を並べるだけで、全く違う意味と分かりますね。

意見があった場合、3タイプに分かれる


火・水・草 ですね。
1.他人に同調圧力をかける人
2.同調圧力を感じていても、順応して行動する人
3.同調圧力を感じていても、自らの意志で行動できる人

感覚としては 3:6:1 といった比率ですかね。
半分以上の人は「2」では無いかなあと思います。
どうして「2」が多いのか。

同調していたほうが精神的に安心

大半の人はこれでは無いでしょうか。

「どうせ自分を出したら叩かれるでしょ。だったら、多少のことに目をつぶれば同調していたほうが安心だし。」
「特にこだわりもないし、こだわりが強い人に任せておけばいいでしょ。」
「そのことについてよくわからないから、同調しておこっと。」
「〇〇さんのことあまり好きじゃないから、□□さんの意見に賛成!」

と、いうことが多いような気がしますね。

なんで自分の意志で行動できる人が少なくなったの?

個人的な意見としては、価値の基準が変わったことが原因かなと。

イマイチ理解が出来ていないのですが、個人の価値を、
LINE の友だちの人数だったり、TwitterInstagram のフォロワー数だったり、いいねの数だったりに置き換えてはいませんか?

で、その数が多い人に同調しておけば、世の中正しく渡れている!
とか、この行動はいいねが多いから、世の中的に正しいことなんだ!
みたいになっていませんか?(一部例外を除く)

価値を数字に置き換え、多い方が安心する。みたいな思考停止行動をしていると、どうしても多数に流れてしまう癖が、ついてしまう気がします。

多数決が苦手

ここで、個人の体験談をひとつ。

多数決を行うと、そのルール上どうしても少数派の意見はかなり弱くなってしまいます。

例えば、10人中9人が「A」に賛成、残りの1人が「B」に賛成とします。この時点でほぼ100%「A」の意見が採用されます。

そしてその後「B」が正しかった場合でも、
「なんでその時大きな声で言わなかったの?」とか
「ちゃんと理由を説明してくれたら、納得したのに」とか、
結果が見えてからも謝りなく、少数派に意見してきます。

また、「A」が正しい場合、その残りの1人が同じ状況になると、意見が全く通らなくなります。で、あいつは協調性が無いやつとレッテルを貼られてしまうのです。
怖いですね……

ちなみに残りの1人は、社会人1年目の私です。

なので最近の私はめんどくさいので、私以外でも少数派の意見を聞いてくれない場では発言しません。

で、結局なに?

同調圧力と協調性は全く別物だから、ちゃんと理解して!
・少数派の意見を言う人 = 協調性が無い人 にしないで!
・多数派が必ずしも正しいとは限らないから、ちゃんと自分の意見を持とう!

って感じですかね。少なくとも人の上に立つ人間はちゃんと理解していただきたいですね。

同調圧力にだまされない変わり者が社会を変える。

同調圧力にだまされない変わり者が社会を変える。